フツーリーマンの雑記帳

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八紘之基柱(あめつちのもとはしら)

おはようございます、TASUKEです。
少し以前の訪問ですが、宮崎県宮崎市の平和台公園を訪れましたので、ご紹介します。
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宮崎市の平和台公園にある高さ36.4メートルの巨大な塔。これは八紘之基柱(あめつちのもとはしら) と言い、一般的には「八紘一宇(はっこういちう)の塔」と呼ばれています。この塔は、皇紀2600年を記念して企画され、1939(昭和14)年5月に着工、1940(昭和15)年11月に完成しました。

なお、「八紘一宇」ってなに?という方は下記をご覧ください。
ja.wikipedia.org

少し乱暴に要約すれば、「世界を(天皇の元に)一つの家族にする」という意味で戦時中はスローガンのように使われた言葉です。それゆえ戦後は軍国主義を象徴する言葉とされてGHQから使用が禁止され、下記の通り軍国主義を想起させるものは取り払われたのです。

戦後の1946年(昭和21年)にGHQの命により、「八紘一宇」の碑文と武人の象徴であった荒御魂(あらみたま)像が撤去された。塔内部の奉安庫に収納されていた秩父宮雍仁親王の揮毫「八紘一宇」も撤去・処分の対象となったが、宮崎県職員によって密かに運び出され、宮崎神宮の倉庫内に隠された。1957年(昭和32年)、「平和の塔」に改称。一時はロッククライミングの練習場代わりに使われるほど荒廃した。 (Wikipediaより)

その後、1962年(昭和37年)に荒御魂像が、1965年(昭和40年)に「八紘一宇」の文字が復元されて元の姿に戻り、現在に至ります。

私見ですが、それ自体が良いものかどうか別にして、存在した事実をなかったことにするのは良い姿勢とは言えません。「軍国主義は悪しきものだから、それにまつわるものは抹殺すべし」という極端なやり方では後世に歴史の教訓を残すことができないからです。実際、身近な人で「八紘一宇」の単語を知っている人がどれくらいいるでしょうか?

同様に旧日本軍に関することや、明治・大正・昭和にかけて日本が経験した歴史(もちろん全史を学ぶのがベストです)について、国民がより多くの知識を持つことが必要です。歴史を学べば学ぶほど、「軍隊を持たなければよい」「話し合いですべて解決できる」などという単純なものではないことに気づくはずです。

TASUKEは戦争礼賛者ではありません。戦争はないに越したことはないのです。大切なのは、もう二度と日本を戦争の惨劇にあわせないこと。そして、そのためには残念ながら抑止力が必要です。

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数十メートル離れた場所から手を打つと音が跳ね返ります!

それで、なぜこの塔が宮崎で建てられたかですが、先ほど「皇紀」というキーワードを出しました。ちなみに「皇紀」元年は初代天皇に位置づけられる神武天皇が即位したとされている年で、西暦換算では紀元前660年にあたります。

宮崎市にはその名も宮崎神宮という神社があり、そこで祀られているのがあの神武天皇なのです。古事記や日本書紀によると神武天皇が大和(奈良)に向かって東征を開始したのが日向(宮崎)からとされており、宮崎神宮は東征前に宮殿を営んでいた場所と言われています。つまり、皇紀2600年を祝うための塔を、神武天皇ゆかりの地である宮崎に建てたというのが真相かと思います。

皇紀にまつわる余談ですが、日本が世界に誇った零式艦上戦闘機(通称:ゼロ戦)は皇紀2600(昭和15)年に制式採用されたため、この名称となった経緯があります。その他にも九七式艦上攻撃機や九九式艦上爆撃機も同様のネーミングです。今ではまったく忘れ去られていますが、当時は皇紀が広く意識されていたのでしょうね。

以上、TASUKEでした。本日もよい一日を!