フツーリーマンの雑記帳

過ぎてゆくいつもの毎日は、きっと特別な日々。歴史や経済、おでかけ情報を中心に発信します!

明智光秀(肖像画)と岸和田城


こんにちは、TASUKEです。
先日ブログにアップしたように、3月8日まで大阪・和泉の岸和田城で明智光秀の肖像画(本物!)が公開されています。
そう、歴史の教科書に載っているアレです。
www.tasuke.me

美濃出身の光秀の肖像画がなぜ岸和田にあるのかは、↑の記事をご覧いただければ幸いです。

さて、TASUKEは肖像画を観るため、早速に岸和田まで出かけてきました。
岸和田は今回が初訪問です。一応、ざっくりと地理をご説明すると、岸和田は大阪南部に位置し、泉州(大阪の西南部)のなかでも南に位置することから「泉南」と呼ばれる地域に含まれます。関西国際空港に近く、大阪市と和歌山市のほぼ中間にあたります。

阪神高速の岸和田南ICを降りて5分ほど車を転がせば、岸和田城近くの市役所の駐車場に到着です。

f:id:TAIRANOTASUKE:20200225235214p:plain
最初の1時間は無料、以降1時間ごとに100円。格安!

既に駐車場からは天守がチラリと見えていて、城好きの心を存分にくすぐります。市役所に隣接する岸和田高校の前を通り抜けると、視界が開けて、本丸を囲む堀が姿を現しました。

f:id:TAIRANOTASUKE:20200225235559j:plain
打ち込み接ぎの均整の取れた石垣。二の曲輪より撮影。

確かに巨城ではありませんが、それでも想像以上の縄張りにテンションが上がります。
現在、お城としての姿をとどめているのは、本丸と二の丸の区画のみですが、二の丸に設置された説明板によると、かつては二の曲輪、三の曲輪、外曲輪を持ち、幾重もの堀が本丸を囲む立派な構えのお城だったようです。

f:id:TAIRANOTASUKE:20200226000938j:plain
ライオンズクラブ、Good Job!

なお、この説明板に「岸和田」の地名由来についても解説がありました。南北朝時代に楠木正成の一門である和田氏が当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き根拠地としたことから、いつしか「岸和田」と呼ばれるようになったそうです。

さて、いよいよ二の丸からお堀を渡って本丸区画へ。自分が攻め寄せる足軽なら正面から火縄銃で銃撃されてゲームオーバーだな、なんて思いながら歩きます。

f:id:TAIRANOTASUKE:20200226091644j:plain
本丸へかかる橋。いよいよ天守へ!
すると、正面の門にPOPを発見!そう、明智光秀の肖像画(本物)が天守の展示スペースで展示されているのです。
f:id:TAIRANOTASUKE:20200226092110j:plain
少々張り方がザツいのはご愛嬌。

門をくぐり、本丸の中に進みます。左手の坂を少し登ると、ついに天守が目の前に現れました。1585(天正13)年に築かれたと伝わる天守は1827(文政10)年に落雷で焼失。今、目の前にある天守は1954(昭和29)年に再建されたものです。

f:id:TAIRANOTASUKE:20200226094454j:plain
大天守に小天守(付櫓)がついた複合式天守

階段を上った先の付櫓内に受付があり、入場料を払って内部へGO!

f:id:TAIRANOTASUKE:20200226101038j:plain
入場料・大人1名300円がイオンカードの優待で210円に!

戦後に再建されたとあって、さすがに内部は近代的です。

f:id:TAIRANOTASUKE:20200226101243j:plain
付櫓から天守に続く廊下

天守1階と2階は展示室になっていて、件の肖像画は1階にあるとのこと。ついについに念願の、あの方の肖像画とご対面です!!
皆さんにもお目にかけようと思ったのですが、案の定、撮影禁止・・・。_| ̄|○
仕方がないのでTASUKEの感想でお許しください。実物は・・・、教科書で見るよりも柔和な表情が印象的でした。特に口周りは少しおちょぼ口で、女性的な雰囲気さえあります。さすがに絶世の美女と伝わる玉子(ガラシャ)の父です。こんな優しい顔の人が「本能寺の変」なんて起こすかなーって感じです。

1階の常設展示は、岸和田藩の藩主・岡部氏に関する展示がありましたので、こちらもチェックしてきました。
岡部氏は元・駿河国出身で今川氏に仕えていた家です。それが今川氏の滅亡を経て、武田氏、次いで徳川氏と主を変えて、最終的にこの岸和田に封じられ、幕末までの約230年間を藩侯としてこの地を治めたということです。

f:id:TAIRANOTASUKE:20200226093453j:plain
岸和田藩5万3千石は譜代大名・岡部氏が領主でした。

最後に3階の展望室へ。
周りに高い建物がないので、なだらかな丘の上に建つ天守からは360度のパノラマが楽しめます。大阪湾の向こうに見える神戸や淡路島を眺めていると、泉南と神戸方面の近さが実感できます。気になったので改めて地図を確認すると、岸和田から大阪と神戸はほぼ等距離でした!近代以前は現在よりも移動手段としての舟の利便性が高かったので、そういう意味でも岸和田は交通の要所だったのかもしれません。

f:id:TAIRANOTASUKE:20200226145255j:plain
北西の方角、大阪湾を挟んで神戸方面が見えます。
f:id:TAIRANOTASUKE:20200226150744j:plain
南東方向、山を越えればもう和歌山県です。

f:id:TAIRANOTASUKE:20200226145047j:plain
天守再建に携わった男たちのドラマが・・・あったのかも。
f:id:TAIRANOTASUKE:20200226150853j:plain
かつての岸和田城の姿を伝えるジオラマ。岡部氏寄贈。
f:id:TAIRANOTASUKE:20200226150957j:plain
3階内部はちょっとした記念撮影スペースに。

今回はあまり時間がなく、町の散策はできなかったので、また再訪したいと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!