【書評】経済で読み解く日本史(室町時代~戦国・安土桃山~江戸時代)
こんにちは、TASUKEです。
図書カードをもらったので、あまり考えずに手に取った文庫本を3冊買いました。
「経済で読み解く日本史」(上念 司 著)の室町・戦国時代編、安土桃山時代編、江戸時代編の3冊です。
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結論を先に言うと、なかなかの良書。買ってヨカッタ。歴史関係の本が多くなってしまうので、最近は他のジャンルの本をがんばって選んだりしているのですが、今回はあまり時間がなかったので、直感で選びました。
以下、簡単な感想ですがご参考になれば。
この手の通史を順番に記述していく本は既知の内容が多くて、新たな発見はあまりないのですが、このシリーズは「経済」、なかでも通貨を切り口に歴史にスポットライトをあてているところが新しいと思います。
例えば、織田信長と比叡山延暦寺、石山本願寺等の宗教勢力との対立も「金融政策(通貨発行)」「物流」「商業」などの視点で語られます。政治的・戦略的に見ても対立するもっともな理由はあるのですが、経済的な視点で補完するとより立体的に歴史が浮かび上がってくるようです。
また、安土桃山時代に至るまで日本は独自の通貨を発行しておらず(※)、中国から銭貨を輸入して通用させていたことについて、改めて理解できたことも個人的な収穫でした。
そう、近世に入るまで日本は独自の通貨発行権を持たず(権利はあったが行使=発行せず)、中国から銭貨が輸入できなくなると通貨が不足してデフレが発生し、慢性的な不況になってしまう経済構造だったのです。(デフレになると銭貨の価値が上がる期待から、ため込んで使用しなくなる)
故に、明との貿易が下火になってくる室町時代の中期以降は、米価が下落するなど構造的な不況になっていくのでした。
※飛鳥時代から平安時代にかけて和同開珎などの皇朝十二銭は存在しましたが、本格的な流通にはいたっていませんでした。
というわけで歴史を見る目に、新たな視点を与えてくれた作品でした。
最新版の平成時代編まで、あと3冊あるようなので読んでみようかと思います。
興味のある方はぜひ!
【読了】皇帝フリードリッヒ2世の生涯
こんにちは、TASUKEです。
みなさん、家で過ごす時間が長くなっているかと思いますが、
じっくり読書はいかがでしょうか?
今のような時間のあるタイミングで「(TASUKE的)読みたい本ランキング」、のような企画をまとめたいのですが、まずは、2月にアップした本の最終レポートが未了でしたのでお付き合いいただければ幸いです。
前回アップ時は上巻をほぼ読み終えたところまでの感想でした。
もし、興味があるという奇特な方がいらっしゃれば、下記リンクをご覧ください。
さて、第6回十字軍から帰還したフリードリッヒ2世。
帰国後は彼の思い描いていた国づくりが進んでいく、と前回の最後に記しましたが、
それは半分正解で半分間違いでした。
中央集権化に向けて
1229年にパレスチナから帰国した後、1231年にはメルフィ法典を制定し、シチリア王国(南イタリアとシチリア島)における中央集権化を制度的に担保します。
意外にも思われますが、中世後期のヨーロッパは後の絶対王政(中央集権化)が確立する前であり、君主(国王・皇帝)の元に権力を集中させ、有力な封建諸侯を中央政府の官僚として統治に参加させる体制を、彼が初めてヨーロッパで実現させたようです。
一方、彼のもう一つの領国ともいえるドイツについては、無理な中央集権化は進めず、有力な封建諸侯を上手く制御しながら、従来の枠組みを存続させながらの統治を続けます。ドイツは伝統的に諸侯の力が強く、この後も地方分権の状態が長く続きます。
現在でも「ドイツ連邦共和国」という国名ですから、歴史的な性質とも言えるのでしょうね。
なお、日本において官僚制に基づく強力な中央集権体制が実現するのは、明治維新を待たねばなりませんから、いかに先進的な取り組みだったかが分かります。
(7~8世紀の律令制度は一応とはいえ中央集権体制ですが・・・)
ローマ教皇との対立
さて、中央集権化に向けての最大の壁は王国内の諸侯ではなく、ローマ教皇でした。
現在の教皇からは想像もつきませんが、中世当時のローマ教皇はイタリア中部に「聖ペテロの遺産」と呼ばれる広大な所領を持つ諸侯でもありました。
また、当時は4世紀前半の古代ローマ帝国皇帝・コンスタンティヌス帝が当時のローマ教皇に西ヨーロッパ全土を寄進したとされる「コンスタンティヌスの寄進状」の存在が信じられていました。実際の統治は王や皇帝が行うものの、その任命権はローマ教皇にあり、西ヨーロッパ全土の真の主はローマ教皇というわけです。
なお、この寄進状はルネサンス時代に入った15世紀に偽書であることが問題提起され、
最終的には18世紀に偽書であることが確定しました。キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝もさすがにそこまではしなかったわけです。
そのローマ教皇にとって、おひざ元の南イタリアで中央集権化を進めるフリードリッヒ2世の行動は、ローマ教皇の権威および権力への挑戦と映ったのでした。
以降、フリードリッヒ2世の生涯にわたって、ローマ教皇との対立が続くことになります。
中世は現代と比較にならないほど、宗教の権威が強い世界です。神の代理人とされるローマ教皇と対立することが、いかに困難をともなうことか現代人からは想像がつきにくいですが、
フリードリッヒ2世はローマ教皇からの破門処置を何度も受けることで、測り知れない不利益を被っています。
ロンバルディア同盟との戦い
これまでも触れてきましたが、フリードリッヒ2世の領国はシチリア島を含む南イタリアと、ドイツに分かれており、その間には教皇領を中心とした中部イタリアと、ミラノ、ジェノヴァ、ヴェネツィアなどの諸都市が点在する北部イタリアが挟まれています。
教皇領はもちろん敵方ですが、ミラノを中心とした北西部イタリアは教皇派(グエルフィ)の諸都市が多かったので、フリードリッヒ2世の祖父の代から、皇帝に従わないことが多かったのです。
教皇からの働きかけもあり、これらの諸都市は同盟を結成してフリードリッヒの前に立ちはだかりました。この同盟は北西部イタリアの地方名からロンバルディア同盟と呼ばれています。
(北東部で強力な海軍を持つヴェネツィア共和国はロンバルディア同盟とは共同歩調はとらず、中立の立場で通し続けました。)
終始、皇帝側は有利に戦いを進めるものの、ついにはロンバルディア同盟を完全に屈服させることはできないのでした。
「時代の先駆者」の最後
1250年秋、生涯を通じた趣味である鷹狩りの最中に体調を崩し、近くの街に運ばれて懸命の治療が施されますが、12月にはついに帰らぬ人となります。56歳の死でした。
前年の1249年には長子エンツォが敵方に捕らえられ、幽閉されるなど法皇派との戦いは一進一退が続いていましたが、次第に皇帝派に有利な形成になりつつありました。
しかし、皇帝の死によって法王派の巻き返しが始まり、やがて彼の息子たちは命を落としていき、彼が残したシチリア王国もフランス系の王朝にとって変わられることになります。
結局、彼のような強力なリーダーシップと政治力をもってしても、時代の殻を完全に破ることはできなかったのです。
しかし、彼が目指した政治体制は、彼が君臨した間にしろ、中世のシチリア王国で実現し、ヨーロッパ主要国では絶対王政の形で結実します。そして、近代国家への道につながっていくことになります。
また、彼が挑戦した教会権力は、ルネサンス時代に宗教から距離を置いた科学・芸術が花開くことで相対的にしろ影響力が低下していき、近代への扉が開かれることになるのです。
そのルネサンス時代の始まりに先駆けること約150年。フリードリッヒ2世の宮廷にはイスラム世界出身の学者もいて、かつて古代ギリシャで発展した自然科学や哲学、文学などがアラビア語からラテン語やイタリア語に翻訳・出版されていたといいます。
(かつてのギリシア・ローマ時代の文化・芸術は中世ヨーロッパには伝わらず、むしろイスラム世界で受容されていました)
時代に先駆けた皇帝・フリードリッヒ2世は、確実に近世・近代への方向性を指し示してその人生を終えたのでした。
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眠れないほどおもしろい 百人一首
ガラにもなく、百人一首の本を読んでみました。
平安貴族たち、皆さん情熱的です。というか大人のネタが満載。
(子どもの時に知ったら赤面するかも!)
貴族たちよ、ちゃんと政治してね・・・。
あ、でもこの人たちにとっては、歌を詠むことが政治の一部(もしくは大部分)だったりするのか。
古代~平安時代にかけての日本は怨霊鎮魂が強烈に重視されていたので、
恨みを抱いて死んでいった人を歌に詠んだり、または、その人の歌を歌集に納めたりすることで鎮魂を図った側面は無視できないのです。
怨霊鎮魂については、菅原道真を祀った天満宮が最も象徴的かと思います。
道真は無実の罪で都を追われて太宰府に流され、失意のうちに亡くなります。
その死後、天変地異や道真失脚に関わった関係者が次々に病死するなど、当時の朝廷は震え上がりました。
そして道真の霊を慰めるために創建されたのが、京都の北野天満宮というわけです。
臣下である人間が神格化されるのは極めて異例でしたので、いかに道真の祟りを恐れていたかが分かりますね。
話が少し横道に逸れてしまいましたが、
小学生の頃、百首全部を暗唱(課題として半強制の結果ですが)していたので、懐かしさも手伝ってサクサクと読み進めることができました。
ただし、当時は意味もほとんど分からずに覚えていたので、改めて意味を知ることで、感慨深いものがありました。
「あの歴史上の人物がこんな歌を詠んでいたのか!」などと思うと、旨味が染み出してくるわけです。
特に、99〜100首目が良い。承久の乱で敗れ去った後鳥羽院、順徳院の歌なのですが、世の無常や人生の悲哀を語りかけてきます。
怨念を抱いてなくなったであろう人物をトリに持ってきたあたり、やはり供養の意図が感じられますね。(一首目の天智天皇についても暗殺疑惑あり)
少女漫画風のカバーにひるみながらも、とにかく読んで良かった一冊。
フリードリッヒ2世(ホーエンシュタウフェン家)
こんにちは、TASUKEです。
トランプ大統領が危険球を連発するなど、一向にまとまらない中東和平ですが、かつて中世にはパレスチナで平和的な交渉を上手くまとめた人物がいました。
というわけで、今回はまさに読んでいる最中の塩野七生著「フリードリヒ2世の生涯」から得た感想を。(西洋史に特別造詣が深いわけではないので、ご容赦ください)
まずは、簡単に本書の主人公を紹介
主人公であるフリードリヒ2世は、中世後期の13世紀に活躍したシチリア国王であり、神聖ローマ帝国皇帝です。
この「シチリア国王であり、神聖ローマ皇帝皇帝」というのが少しややこしいので掘り下げます。
シチリア王国は、日本ではあまり馴染みがないと思いますが、中世に存在したシチリア島とイタリア南部(都市で言えばナポリやサレルノ、レッジョが有名でしょうか)にまたがる王国です。
神聖ローマ帝国といえば、主に現在のドイツを領域とした実質は連邦制に近い(地方領主が各地に存在)帝国です。初代皇帝はシャルルマーニュこと、フランク王国のカール大帝ですね。
それで、なぜフリードリヒ2世がこの二つの国のトップを兼ねているのかですが、簡単に言ってしまえば、その血筋によります。
彼の父方は、ドイツの名門ホーエンシュタウフェン家で、第3回十字軍で活躍した赤ひげこと神聖ローマ皇帝「フリードリヒ1世」は祖父にあたります。
ところで、神聖ローマ帝国の皇帝は選帝侯とよばれる、帝国内の有力諸侯によって選ばれるので、皇帝位は世襲ではありません。ですが、ホーエンシュタウフェン家は既に3代続けて皇帝を出している(フリードリヒ2世の父・ハインリヒ6世も神聖ローマ皇帝)名門故に、紆余曲折がありながらもフリードリヒ2世は皇帝となります。
そして、母方はシチリア王国(ノルマン王朝)の王家につながる血筋で、母親は王家の血を引く王女だったため、こちらもフリードリヒ2世が後を継ぐことになります。
以上の理由でフリードリヒ2世はドイツおよび南イタリアの君主というわけです。
第6回十字軍
さて、このフリードリヒ2世ですが、神聖ローマ帝国皇帝の義務とも言える十字軍を企画し、単独で実行します。
彼が実行したのは第6回十字軍ですが、無血で聖地エルサレムをキリスト教徒の元に奪還するという快挙を成し遂げます。
ただし、無血といっても何ら軍事力を用いなかったわけではありません。
何万もの大軍ではありませんでしたが、直属の精鋭部隊と海軍を引き連れつつ、アイユーブ朝のスルタン、アル=カーミルとの交渉に臨んだのです。
実際、アル=カーミルにプレッシャーを与えるため、彼の本拠地であるカイロを急襲できるようナイル川の航行に適した平底の船を用意していたといいます。
交渉を受ける側としても、丸腰の相手の話を聞き入れる道理がありません。これは現代でも変わらぬ真理なのですが、「話せばと分かる」と思っている日本人は多いように感じます。
ただし、フリードリヒ2世自身は無血での交渉にこだわっていたようです。
というのも、彼の本拠地であるシチリアでは約400年にわたってキリスト教徒とイスラム教徒との共存が続いていたのです。
それ故に十字軍とは言いながら、彼がヨーロッパから引き連れてきた軍勢にはイスラム教徒も少なくなかった伝わります。
当時ヨーロッパの他の地域では、イスラム教徒との共存などもってのほかという状態でしたが、シチリアでは王宮のあるパレルモにもモスクが存在するなど、イスラム教徒が生活しており、宮廷に出入りする者もいたのです。
シチリアで育った人間であるフリードリヒ2世としては、「共存」はごく自然のことだったのではないかと思います。
ただし、無血で聖地を解放したフリードリヒ2世に対して、ローマ法王や一部の高位聖職者から批判が投げつけられることになります。それはなぜなのか、読了後に改めて記事にしたいと思います。
キリスト教が生活や社会のすべてを律する中世ヨーロッパにあって、異端とも言えるフリードリヒ2世。十字軍から帰還した後は、いよいよ彼が思い描く国づくりに邁進することになります。
ローマ亡き後の地中海世界
おはようございます、TASUKEです。
塩野七生先生の「ローマ亡き後の地中海世界(文庫版全4巻)」を読了しました。
塩野さんの著作を読んでいると、男性以上に骨太な筆致に魅了されてしまいます。
言葉足らずは覚悟の上で要約と感想を。
前半は、7世紀に勃興したイスラム勢力の伸長が描かれます。かつて、ローマ帝国の内海だった地中海の東(パレスチナ、シリア、エジプト)と南(リビア、チュニジア、アルジェリア)は瞬く間にイスラムの色に染まり、少し時間をおいて、イベリア半島までもがイスラム化します。
そして、北アフリカでは海賊業が産業化(海賊が産業というのもヘンですが)し、そこから出航する海賊船が最初はシチリア島、ついで南イタリアに襲来するようになり、人々は苦しめられます。
当時のイタリアは小勢力が相争っており、組織的に海賊に対処できる能力を失っていました。海賊に襲われる海岸沿いの町や村は、見張り用の塔を作り、海賊を見つけ次第に逃げるという方法しか策がなかったようです。
不幸にも逃げ遅れた者は抵抗すれば殺され、投降したものは奴隷として北アフリカに連れ去られました。
後半は、イタリアの海洋都市国家(アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィア)の勃興やローマ法王が提唱して始まった十字軍などキリスト教世界の反撃、そして強大なオスマントルコとの戦いが描かれます。
地中海の海賊はその後も消滅することはなく、19世紀の初頭までその活動が続いたようで、驚きです。正確な数字は残っていませんが、1,000年以上にわたる海賊の活動で数百万人にのぼる人々がヨーロッパから北アフリカなどに拉致されたとも言われます。
キリスト教世界とイスラム教世界の対立が描かれる一方で、中世のシチリア島では約400年間にわたってキリスト教徒とイスラム教徒が共存するなど、幸福な時代もあったようです。そのおかげで、シチリアではルネサンスに先駆けてイスラム世界から逆輸入されたギリシア哲学などの学問が盛んになりました。そのような環境が、中世に近代国家を目指したフリードリヒ(フェデリコ)2世の登場につながるのかもしれません。
シチリアやフリードリヒ2世については、塩野さんが別に執筆された「フリードリヒ2世の生涯」を読んでいるところですので、改めて記載したいと思います。
<感想まとめ>
ずいぶん前にその前史となる「ローマ人の物語(文庫版全43巻)」を通読しましたが、その根底に流れるテーマは同じだと思いました。
やや乱暴ですが、まとめるとこう言えるかと思います。
「平和」はタダで手に入るものではなく、維持するためにはそれ相応のコスト(軍事力)が必要になる。だが、「平和」が保障されなければ、経済も文化も発展しない。
コスト(軍事力)なき平和は絵空事に過ぎないのだ、と。