フツーリーマンの雑記帳

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フリードリッヒ2世(ホーエンシュタウフェン家)

こんにちは、TASUKEです。

トランプ大統領が危険球を連発するなど、一向にまとまらない中東和平ですが、かつて中世にはパレスチナで平和的な交渉を上手くまとめた人物がいました。

 

というわけで、今回はまさに読んでいる最中の塩野七生著「フリードリヒ2世の生涯」から得た感想を。(西洋史に特別造詣が深いわけではないので、ご容赦ください)

 

まずは、簡単に本書の主人公を紹介

主人公であるフリードリヒ2世は、中世後期の13世紀に活躍したシチリア国王であり、神聖ローマ帝国皇帝です。

 

この「シチリア国王であり、神聖ローマ皇帝皇帝」というのが少しややこしいので掘り下げます。

 

シチリア王国は、日本ではあまり馴染みがないと思いますが、中世に存在したシチリア島とイタリア南部(都市で言えばナポリやサレルノ、レッジョが有名でしょうか)にまたがる王国です。

 

神聖ローマ帝国といえば、主に現在のドイツを領域とした実質は連邦制に近い(地方領主が各地に存在)帝国です。初代皇帝はシャルルマーニュこと、フランク王国のカール大帝ですね。

 

それで、なぜフリードリヒ2世がこの二つの国のトップを兼ねているのかですが、簡単に言ってしまえば、その血筋によります。

 

彼の父方は、ドイツの名門ホーエンシュタウフェン家で、第3回十字軍で活躍した赤ひげこと神聖ローマ皇帝「フリードリヒ1世」は祖父にあたります。

ところで、神聖ローマ帝国の皇帝は選帝侯とよばれる、帝国内の有力諸侯によって選ばれるので、皇帝位は世襲ではありません。ですが、ホーエンシュタウフェン家は既に3代続けて皇帝を出している(フリードリヒ2世の父・ハインリヒ6世も神聖ローマ皇帝)名門故に、紆余曲折がありながらもフリードリヒ2世は皇帝となります。

 

そして、母方はシチリア王国(ノルマン王朝)の王家につながる血筋で、母親は王家の血を引く王女だったため、こちらもフリードリヒ2世が後を継ぐことになります。

 

以上の理由でフリードリヒ2世はドイツおよび南イタリアの君主というわけです。

 

第6回十字軍

 

さて、このフリードリヒ2世ですが、神聖ローマ帝国皇帝の義務とも言える十字軍を企画し、単独で実行します。

彼が実行したのは第6回十字軍ですが、無血で聖地エルサレムをキリスト教徒の元に奪還するという快挙を成し遂げます。

 

ただし、無血といっても何ら軍事力を用いなかったわけではありません。

 

何万もの大軍ではありませんでしたが、直属の精鋭部隊と海軍を引き連れつつ、アイユーブ朝のスルタン、アル=カーミルとの交渉に臨んだのです。

実際、アル=カーミルにプレッシャーを与えるため、彼の本拠地であるカイロを急襲できるようナイル川の航行に適した平底の船を用意していたといいます。

 

交渉を受ける側としても、丸腰の相手の話を聞き入れる道理がありません。これは現代でも変わらぬ真理なのですが、「話せばと分かる」と思っている日本人は多いように感じます。

 

ただし、フリードリヒ2世自身は無血での交渉にこだわっていたようです。

というのも、彼の本拠地であるシチリアでは約400年にわたってキリスト教徒とイスラム教徒との共存が続いていたのです。

それ故に十字軍とは言いながら、彼がヨーロッパから引き連れてきた軍勢にはイスラム教徒も少なくなかった伝わります。

 

当時ヨーロッパの他の地域では、イスラム教徒との共存などもってのほかという状態でしたが、シチリアでは王宮のあるパレルモにもモスクが存在するなど、イスラム教徒が生活しており、宮廷に出入りする者もいたのです。

シチリアで育った人間であるフリードリヒ2世としては、「共存」はごく自然のことだったのではないかと思います。

 

ただし、無血で聖地を解放したフリードリヒ2世に対して、ローマ法王や一部の高位聖職者から批判が投げつけられることになります。それはなぜなのか、読了後に改めて記事にしたいと思います。

 

キリスト教が生活や社会のすべてを律する中世ヨーロッパにあって、異端とも言えるフリードリヒ2世。十字軍から帰還した後は、いよいよ彼が思い描く国づくりに邁進することになります。

 

皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上巻 (新潮文庫 し 12-102)