フツーリーマンの雑記帳

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戦国大名の出自(パート1)

おはようございます!TASUKEです。

今日は戦国大名の出自について考えてみたいと思います。

(唐突ですが・・・。)

 

ひとくちに戦国大名といっても、その来歴は様々で、平安時代まではっきりとさかのぼれる家系もあれば、ほとんど出自の定かではない大名もいます。

戦国大名の出自を区分けすることで、何か新しい発見があるかもしれません。

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画像はイメージです

 

そこで、少々乱暴ですが、区分けするとすれば下記の4つに分けられそうです。

 

①守護(大名) ※足利将軍から任命される。京都に居住し任国を不在にしがち

②守護代 ※守護に代わって領国を治める重臣

③国人領主(在地土豪) ※守護の家臣であることが多いが、元来独立性が強い

④その他

 

それでは、有名どころを上記4つに振り分けてみましょう!

各大名のキャッチフレーズはテキトーですので、悪しからず・・・。

 

戦国の覇者・織田信長

ですが、ここは③が妥当です。

なぜならば、信長の織田家は守護代の重臣(分家)だからです。

なので、③国人領主(在地土豪)とさせていただきます。

甲斐の虎・武田信玄

武田信玄の家は紛れもなく、甲斐源氏の嫡流で平安時代から甲斐国に根を下ろしている名門です。ちなみに若狭守護や安芸守護の武田家は分家にあたります。なので、文句なしで①守護(大名)です。とは言え、その権力が盤石だったわけではなく、信玄の父・信虎は国内をやっとの思いで掌握しています。

越後の龍・上杉謙信

越後の守護と言えば、関東管領でもある上杉家です。なので、①守護(大名)!

ではありません。上杉謙信の元の名前は長尾景虎。そう、長尾家は越後の守護代になります。謙信の父・為景の時代に頭角をあらわして越後の実権を握りました。謙信の代に主毛筋にあたる上杉憲政から上杉家の家督と関東管領職を譲られました。なので、答え②守護代となります。

関東の覇者・北条氏康

北条氏康の祖父・北条早雲(伊勢新九郎)は畿内から東海~関東と流れてきて、伊豆で旗揚げをして大名として名乗りをあげた人物です。最近は研究が進んで室町幕府の重臣である伊勢氏の出身であることが分かってきましたが、①~③には当てはまらないので、④その他となります。

海道一の弓取り・今川義元

桶狭間での敗戦がクローズアップされがちな今川義元ですが、領国経営に優れた手腕を発揮するかたわら、北条・武田と互角にやりあいながら西方に勢力を拡大するなど、名将の一人と言えます。さて彼の今川家ですが、足利一門である吉良家の分家であることから代々駿河国の守護に任命されていました。よって①守護(大名)となります。

中国の覇者・毛利元就

安芸の毛利家は、源頼朝のブレーンで有名な大江広元(もとは朝臣)の末裔を自称していますが、真実は定かではありません。守護や守護代でもなく、一介の③国人領主(在地土豪)でした。中国地方の覇者となった毛利元就も国人領主の盟主として頭角を現していくことになります。

九州の覇者・島津義久

薩摩の島津家は平安時代から土着している由緒正しき名門です。なので、文句なしの①守護(大名)。元々、摂関家の近衛家との関係が深いです。このあたりは大河ドラマ「西郷どん」でも描かれていました。

江北の主・浅井長政

信長の妹・市の方の最初の夫として有名な浅井長政。彼の浅井家は守護・京極氏の家臣である国人領主(在地土豪)です。長政の祖父・亮政の代に頭角を現し、北近江の実権を主家から奪いました。ただし、浅井家が偉いのは主家とはそれなりに友好な関係を維持し続けたことです。

後に長政の娘である初は、元の主家である京極高次に嫁いでいます。

 

と、ここまで8家の大名を紹介してきて、収拾がつかなくなってきましたので、一旦パート1はここまでにしたいと思います。

法則があるんだか、ないんだか(;^_^A

続きは次回パート2にて。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!